「…………あぁ、ここか」
扉の上に掲げられた『3-A』の表記を見て修也は足を止める。
「え、あれっ? もしかして土神君!?」
「……え?」
そこにちょうど出てきた女子生徒が修也を見て声を上げる。
「あ、ホントだ土神だ!」
「すごい、私こんな近くで見るの初めて!」
「俺は写真でなら見たことあるけど、やっぱ生で見るのは違うなぁ!」
「ねぇねぇ、何で3年の教室にいるの? 飛び級になったとか?」
最初の女子生徒を皮切りにどんどん人が集まってくる。
「こ、ここも1-Cみたいな気質なのか……」
時間が経ち少しは落ち着いたかと思ったが、1-Cでの修也への熱狂ぶりは相変わらずだと以前蒼芽が言っていた。
そしてこの3-Aも何やら似たような空気を感じる修也。
「でも別にこのクラスで何かやったわけじゃないのに……」
「何言ってんの、あの猪瀬を改心させてくれたっていう超巨大な功績があるじゃないの」
「いやそれは俺じゃあ……もう良いや」
今更訂正したところで誰も聞いてくれない。
早々にそう見切りをつけた修也は言及を諦めた。
「で、その猪瀬にちょっと用事があるんだけど……アイツまだいますか?」
「あぁうん、今は教室の掃除をしてるよ。あの事件以降ホントに人が変わったみたいだよなぁ」
「私たちも別にそこまでしなくても良いとは思うんだけど、本人が頑として譲らないんだよね。今まで迷惑をかけたんだからこれくらいは当然だって言って」
「えぇー……」
猪瀬の現状をクラスメイトから聞いてやや呆れる修也。
「それでアイツに何の用……もしやついに粛清に動くとか!?」
「やっぱりどれだけ更生しても姫本さんにやってきた所業を考えたら許せないという結論に」
「違う違う! ホントに用事があるだけですから!!」
物騒な考えに走り出した3-Aの生徒たちを修也は慌てて止める。
「とりあえずまだこの教室にいるってことですよね? 入らせてもらっても良いですか?」
「あぁうん、ホームルームはもう終わってるし全然問題ないよ」
「それじゃあ失礼して……」
「ところで今日はあの青髪の子は一緒じゃないの?」
「え?」
突然投げかけられた質問に、教室に入ろうとした修也の足が止まる。
「土神君って大体あの子と一緒にいるよね。仲良いの?」
「あ、はい。まぁ一応仲良くさせてもらってますけど……」
「それじゃああの茶髪でピンクのヘアピンしてる子は?」
「姫本さんとも仲良いよね。まぁあの人は誰とでも仲良くできるけど」
「最近中等部からやってきてるあのヘアバンドの子とはどういう関係?」
「格闘技クラブの部長とも切磋琢磨する間柄って言うじゃない?」
矢次早に質問を投げかけてくる3-Aの生徒たち。
特に女子生徒たちが興味津々といった感じだ。
「えぇ、えぇ、皆仲良くさせてもらってますありがたいことに。すみません、早く先に行きたいんで通してください」
そんな生徒たちの視線を何とか躱して話を切り上げ、修也は教室の中に入っていくのであった。
守護異能力者の日常新生活記
~第6章 第14話~
「えぇと……あ、いた」
修也は教室の中を見回し、早々に目的である猪瀬を見つけた。
その猪瀬は雑巾を持って机を念入りに磨いている。
修也に背を向ける形だからかまだこちらには気づいていないようだ。
「おーい猪瀬、掃除中に悪いがちょっと良いか?」
そんな猪瀬の背中に修也は声をかける。
「えっ…………はっ!? こ、これはこれは、ワタクシめのような取るに足らない者の為にわざわざご足労頂くとは恐縮です! 言っていただければこちらから出向いたものを!!」
振り返り声をかけた相手が修也だと気づいた瞬間床に頭を擦り付けて伏せる猪瀬。
「……いつ見ても違和感がパネェ」
第一印象が『世界中の不快感を煮詰めたようなやつ』というものだった修也としては今の猪瀬からは違和感しか出てこない。
「えーっと……とりあえず頭上げてくんねぇかな。話しにくくて仕方がない」
「いえそんな! ワタクシめのような下賤な者があなた様のご尊顔を拝見しようなど恐れ多すぎます!!」
「あーじゃあもう良いよ、そのままで良いから聞いてくれ」
このまま本筋ではないところで押し問答するよりも多少やりにくくてもさっさと話を進めた方が良い。
そう判断した修也は猪瀬の説得を諦めた。
「はい、何なりとお申し付けください! この場で腹を切れと言うのであれば喜んで切りますとも!」
「言わねぇから! 何でそう腹切りたがるかなぁ?」
「はっ、そうか! 安易に果てる道よりも業を背負い苦難の道を歩んでいくのがこのワタクシめに与えられた罰だということなのですね!?」
「そういうわけでもねぇよ!?」
しかしこれはこれで話が進まない。
「気のせいかなぁ……こっちの方がめんどくせぇ気がする……」
修也としては悪意マシマシで突っかかってこられる方がまだ対処しやすい。
なまじ悪意が無いからか、たとえ猪瀬相手だとしても邪険にするのが憚られるのだ。
「もうさっさと話を進めよう。猪瀬、スケルスという名前に聞き覚えはあるか?」
「…………? どうしてあなた様がその名前を?」
修也の質問に質問で返す猪瀬。
「そんな言葉が出るということは……猪瀬はスケルスのことを知っているということだな?」
「えぇ、少し前にワタクシめの前に現れた男です。素性はよく分からないのですが、ワタクシめに協力的だったのでそばに置いていた時期があります」
「それじゃあお前の元部下たちが言っていた『消される』って言うのは……」
「はい、その時のワタクシめに反抗的な態度をとっていた人たちをどうすればいいか悩んでいたところ、スケルスが任せてくれと言うので引き渡したらそれ以降姿を見せなくなったのです」
「…………なるほど」
猪瀬の話で確証を得られた。
あの時の騒動も裏でスケルスが関わっていたのは間違いなさそうだ。
そしてスケルスは人格を破壊する術を持ち合わせている。
消えてしまったという猪瀬の元部下の仲間や由衣を誘拐した男はその被害に遭ったと見て良い。
優実が言っていた謎の高熱はその副作用か何かだろう。
(スケルス……想像していた以上にヤバいやつなんじゃねぇのか……? 手に負える相手なのか……?)
考えていた以上に闇が深そうな案件に修也は背筋が寒くなる。
直接的な悪意とは違う、何か言い知れない悍ましい物を見たような気がする。
できることなら関わらないでいたいところだが、向こうがこっちをロックオンしている以上それは難しい。
それにスケルスを野放しにしていたら今後もおかしな事件が起こり続けるだろう。
それで自分はともかく周りの人に被害が及ぶような事態は絶対に避けたい。
不安や焦燥など様々な感情が修也の中でぐるぐると渦巻く。
「申し訳ありませんこの程度の情報しか提供できずに! お詫びとして腹を」
「切らんでいい! それなりに有用だったから!!」
そんな様子を見て猪瀬は自分の情報が役に立たないものだったから修也が不機嫌になったと勘違いしたらしい。
またしても切腹しようとした猪瀬を修也は食い気味に止める。
「それじゃ俺は帰る。掃除中に悪かったな」
「いえいえとんでもない! またいつでもお呼びつけくださいませ!!」
土下座の姿勢のままそういう猪瀬に背を向けて教室を後にしようとする。
「あ、今思い出したことが……アイツ、自分のことを復讐者と言っていました」
「……復讐者?」
しかし猪瀬のその言葉を聞いて再び向き直す。
「なんでも、理不尽な仕打ちを受けたことで周りを恨んでいるとか」
「理不尽な仕打ち……」
猪瀬の言葉を繰り返すように呟く修也。
「分かった、また何か思い出したら教えてくれ」
「畏まりました!」
無駄に溌溂とした猪瀬の返事を受け、修也は今度こそ教室を後にした。
「………………」
修也は無言で考え込みながら廊下を歩く。
猪瀬との話で分かったのは、以前猪瀬の部下たちが言っていた『消される』ということの信憑性とスケルスの底知れない恐ろしさだ。
修也は基本的にはたとえ相手がどんなに悪事を働こうとも相手の人生を破滅させることまではしていない。
やはり人間である以上やりすぎるのには抵抗があるのだ。
由衣を誘拐して暴行しようとしたあの男に対しても、殴ることこそ容赦はしなかったが流石に本気で殺してしまおうとまでは思っていなかった。
だがスケルスはそれを抵抗無くやってしまう。
それこそ以前不破警部が言っていた、将棋の駒を切るのと同じくらいの感覚で。
理不尽な仕打ちを受け周りを恨む気持ちは分からないでもない。
修也も『力』で理不尽な扱いをされたことがあるからだ。
しかしそこまでやることに対しては理解できない。
「おりょ? 土神君じゃん。まだ帰ってなかったの?」
「……え? あ、藤寺先生……」
考え込みながら3階に下りた時、ちょうど廊下から出てきた陽菜と鉢合わせた。
「しかも4階から下りてくるなんて珍しい。3年の誰かに用事でもあったの?」
「えぇまぁそんなとこです」
「おいおい舞原さんをはじめあんなに可愛い子が周りにいっぱいいるのにまだ満足できないってのかい? この欲しがりさんめ!!」
「何で女子生徒相手だと決めつけるんですか。俺を何だと思ってるんですか」
にやけながら肘で軽く小突いてくる陽菜に修也はため息を吐きながら突っ込む。
「…………んー?」
そんな修也を訝しげに見つめる陽菜。
「? どうしたんですか先生」
「土神君、何か悩み事かい? 突っ込みにいつもみたいなキレが無いよ?」
「人の調子を突っ込みで判断しないでくださいよ。前にも言ったと思うけど」
「ということは悩み事があるってことだね。超能力の件は片が付いたってのに君も悩み多き青年だねぇ」
問いかけを否定しない修也を見て陽菜はそう判断する。
「……俺も好きで悩んでるわけじゃないんですけどね」
「まー人生なんて悩んでナンボだよ。誰だって程度の差はあれども悩みを抱えて生きてるもんさ。もちろん私だってね」
「先生は悩みとは無縁の人だと思ってましたが」
「失礼な! 私だって人並に悩みくらいあるさ! 全人類にブルマの良さを分かってもらう良い方法がなかなか思いつかない、とか」
「……そうせそんなとこだろうと思ってましたよ」
胸を張って自慢げに言う陽菜に半眼で返す修也。
「んー……やっぱり今の土神君の突っ込みは鈍いなぁ……よし!」
そんな修也の様子を見て陽菜は少し考え込んだ後大きく頷き……
「飲みに行こうぜ土神君!」
「生徒になんて誘いかけてんだアンタ」
無駄に良い笑顔で肩を叩きながらそんなことを言いだす陽菜に修也は即レス突っ込みを入れる。
「おっ、ちょっといつもの土神君っぽい突っ込みに戻ってきたね。あぁもちろん居酒屋じゃなくてファミレスだよ? だから安心しなって」
「重要なのはそこじゃねぇ。そもそも先生が生徒と個人的にかつ学外で交流持って良いんですか?」
「むしろ何でダメだと思うの? そりゃヤバい関係性を持つのはどうかと思うけどただの悩み相談だよ? 担任としての職務のひとつだと思うな」
「最近はたとえ疚しいことが無くても騒ぎ立てる輩がいるんですから、慎重になるに越したことはないと思うんですが」
「何を今更。それにそういうのを騒ぎ立てる輩どもの方が頭イっちゃってるんだって」
「……まぁその点については同意です」
自分に疚しいところがあるから相手も同じだと思い込む。
そういう心理が働くという話は修也も聞いたことがある。
「でも何でわざわざ学外で……」
「せっかくだから優実と瀬里にも声かけようかなってね」
「ホント仲良いですね……でも、ふむ……」
優実と瀬里も誘うという陽菜の言葉を聞いて修也は考えを改める。
優実はもちろんのこと、瀬里も有事の際には頼りになる人だ。
現状の情報の共有をしておくのは悪くない選択だろう。
「分かりました。ちょうど七瀬さんや高代さんに聞いてもらいたい話もありますし」
「よっしゃ決まり! ゴチになります!」
「生徒にタカんな!!」
嬉々として優実と瀬里に連絡を取りながらそんなことを言う陽菜に突っ込む修也。
「良いよ良いよー、さっきよりもいつもの土神君らしくなってきた! やっぱ土神君は誰かに突っ込みを入れてる時が一番輝いてるよ!」
「やだよそんな輝き方!」
……と口ではそう言いつつも陽菜とのやり取りで心が軽くなっているのを修也は感じ取っていた。
やはり陽菜はふざけているように見えても生徒のことを考え最適なケアができる良い教師なのである。
「……てか、七瀬さんも高代さんもまだ仕事中では?」
優実と瀬里の勤務時間は知らないが、普通の企業ならまだ業務時間だろう。
特に公務員である優実は間違いなく勤務中だ。
「まぁその辺はどうとでも理由つけられるでしょ。優実は事情聴取、瀬里は情報収集とかで」
「良いのかそれで……」
「私だって悩み相談って名目はつけてるし。理事長も君の為になるなら喜んで私を送り出してくれるさ!」
「……納得できてしまうのがなんだかなぁ……」
理事長の人柄を考えると十分あり得る話だ。
更に言うなら優実の上司である不破警部も修也の名前を出せば二つ返事で許可を出しかねない。
瀬里の職場は知らないが、あの瀬里がいるというだけでかなり融通が利きそうな会社というイメージが湧く。
「…………うん、やっぱり予想通りだ。優実も瀬里も土神君が話があるって言ったら予定空けて来てくれるってさ!」
「……何か申し訳ないなぁ、俺の為にわざわざ……」
「子供が遠慮なんてするもんじゃないよ。頼れるときに頼れば良いのさ。特に土神君はね」
「先生……」
「よっしゃ今日は飲むぞー! 目指せドリンクバーでできる合成ドリンク全制覇!!」
「いやアンタ何しに行くんだよ」
そのまま終われば良い話だったのに相変わらず最後で落としにかかる。
もうワザとオチを付けてるんじゃなかろうか……
楽しそうな顔で廊下を歩く陽菜を見てそう思わざるを得ない修也であった。
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