「ただいまー、おにーさん!」
一足先に着替え終わった由衣が試着室から出てきた。
「えっ? もう着替え終わったの由衣ちゃん?」
隣の試着室から蒼芽の驚いたような声が聞こえてくる。
「うんっ! 私の水着は着るのも脱ぐのも簡単だったからー」
「蒼芽ちゃんはまだかかりそうか?」
「あ、はい、すみません。もう少しかかります」
「今どれくらいー?」
「水着は脱ぎ終わったから後は服を着るだけかな」
「……ということは由衣ちゃんは蒼芽ちゃんの大体倍速で着替えたってことか」
実際はそんな単純な話ではないだろうが、水着を脱ぐ時間と服を着る時間を同じと考えた修也はそう呟く。
「えへへー、私早かったでしょー? おにーさん」
「うん、そうだな……」
笑顔でそう言う由衣に相槌を打ちながら試着室から距離をとる修也。
「ほえ? どーしたのおにーさん。何で後ろに下がるのー?」
「いや……こういう時のお約束でな、何かしらのハプニングがあって試着室に突撃をかましてしまうってパターンがよくあるわけよ。それを事前に回避してるわけ」
「んー? よく分かんないー……」
「分からないなら分からないで良いんだよ」
「あ、あはは……今そんなことになったら確かにちょっと困ったことになりますね……」
試着室の向こうから蒼芽の苦笑する声が聞こえてくる。
(……いや、『ちょっと』で済むのか?)
さっきの由衣との会話から察するに、蒼芽は現在服を着ていない。
そんなタイミングでラブコメ界のお約束をしてしまおうものなら取り返しのつかないレベルの大失態だ。
「……というかあの世界の人たちはそれだけの失態をやらかしておいて大したお咎めも無いのは何故なんだ……?」
今度白峰さんと黒沢さんにそれとなく話題を振ってみてどんな結論が出てくるのか見てみようかという考えが修也の脳裏をかすめた。
しかしどう話を振れば良いか全く分からない上にそれを知ったところで何の役にも立たないので、修也はその考えを無理やり思考の隅に押し込んだ。
世の中別に知らなくても何も困らないことだって存在するのである。
「ねーねーおにーさん、今のお話ってどーゆーことなのー? 気になるよー」
由衣が不思議そうな顔でぐいぐいと修也の腕を引っ張る。
「えぇ……分かりやすく例えるとだなぁ、由衣ちゃんが体育の授業で着替えてる真っ最中で下着姿の時にクラスの男子がついうっかり入ってきたりしたら嫌だろ?」
「んー……確かにクラスの男子だったら嫌だねー……」
修也の問いに由衣は何やら含みを持たせた答えを返す。
「クラスの男子だったら……って、じゃあ誰なら良いんだ?」
「おねーさんとかおにーさんだったら別に気にしないよー?」
「蒼芽ちゃんはともかく俺は気にして? お願いだから」
素でそんなことを言い出す由衣を修也は真顔で諭すのであった。
守護異能力者の日常新生活記
~第4章 第7話~
「お待たせしました修也さん」
しばらくしてから制服に着替えた蒼芽が試着室から出てきた。
あの水着の後だとミニスカートでも服を着込んでいるように見えるから不思議だ。
「そんじゃそれの会計が終わったら由衣ちゃんのお菓子を見に行こうか」
「えっ? 一緒に来てくれるのー? おにーさん、おねーさん」
「うん、そうだね。私たちのお買い物に付き合ってくれたしね」
「わーい、ありがとー!」
そう言って修也に飛びつく由衣。
「それじゃあ私はお会計してきますね」
蒼芽はさっきまで試着していた水着を持ってレジに向かう。
「すみませーん、これお願いします」
「はい、お預かりしますね」
先程の女性店員が出てきて応対に回る。
「如何でしたか? 気に入っていただけましたか?」
「あ、はい。こういうのは初めてですけど可愛くて私は好きです」
「そうですか。お連れさんも気に入っていただけると良いですね」
「……」
先程修也から彼女ではないと聞いているので『お連れさん』という表現をする店員。
それに対し蒼芽は少し思案する。
(……まぁ彼氏ではないのは事実だから間違ってはいないんだけど……)
蒼芽も蒼芽で修也との間柄をどう表現したらいいか悩んでいた。
同じ家で暮らしているものの、付き合っているわけではないので彼氏彼女の間柄ではない。
しかしあれだけ自分の身を危険から守ってくれているのに、ただの居候と評するのは失礼すぎると蒼芽は考えていた。
だからと言って適切な表現が見つからないので、せめてもの敬意として『居候していただいている』と蒼芽は他人に修也を紹介する時そう説明するのだ。
(でももっとこう……うーん……)
とはいうものの蒼芽自身あまりこの紹介の仕方はしっくり来ていない。
どう言葉を飾ろうとも『居候』であることに変わりはないからだ。
修也には居候だからと変に肩身の狭い思いはしてほしくない。
だから蒼芽としては早々に居候にとって代わる適切な間柄を示す言葉を見つけたいのだ。
(友達……は何か違う。同居人……すっごいよそよそしい。大切な人……一番近い気がするけどあらぬ誤解で修也さんに迷惑かけたくないし……)
ああでもないこうでもないと色々と考える蒼芽。
「……お客様? どうされましたか?」
そんな蒼芽に店員が声をかける。
「……あっ! す、すみません!」
そう言えばまだ会計中だったことを蒼芽は思い出した。
とりあえず考えるのは後にして蒼芽は会計を済ませる。
「お買い上げありがとうございましたー」
水着の入った紙袋を渡され、レジを後にする蒼芽。
「おかえりおねーさん」
「由衣ちゃんただいま。修也さんもお待たせしました」
「よし、それじゃあ由衣ちゃんのお菓子を買いに行こうか。地下1階か?」
「うんっ! そーだよー」
そんな話をしながら下りエスカレーターに向かっていく修也たち。
「……あれで付き合ってないとか、にわかには信じられないわ……」
その後ろ姿を見送りながら店員は呟く。
店員の目には、修也と蒼芽はもう長年付き合っていて気心の知れた間柄のように見えた。
しかし実際はまだ知り合って半年も経っていないという。
「それだけ相性バッチリってことなのかしら。本当にもうさっさと付き合えばいいのに」
割と本気でそう思う店員ではあるが、他人の恋愛事情に首を突っ込みすぎるのもよろしくない。
モール内や町中で見かけた時にひっそり応援するくらいにしておこう、と心に留めておくことにする女性店員。
さっき思い切り修也に口出ししたことは記憶の彼方へ投げ飛ばしておいた。
「にしてもわざわざお菓子買いにモールに来なくても、帰り道のコンビニとかでも良くないか?」
エスカレーターで地下1階に下りる途中で修也はふと気になったことを由衣に聞いてみる。
「えー、だって同じものでもコンビニは高いんだもん」
「……さっきのお金の貸し借りの件と言い、結構金銭感覚しっかりしてるんだな由衣ちゃん」
「でも由衣ちゃんの言う通りですよ。コンビニは便利ですけど割高のイメージがどうしてもついてきますね」
「まぁ……それは確かに」
コンビニは割高というイメージは修也にもある。
使わずに済むのであればそれに越したことは無い。
「それにねー、ここのお菓子コーナーはコンビニには無いものもいっぱい売ってるんだよー」
「なるほど、それは確かにモールまで足を伸ばしたくなるな」
由衣の説明に頷く修也。
「面白いお菓子があると良いなー」
「……求めるのは美味しさじゃなくて面白さなのか?」
由衣の言葉に引っかかりを感じた修也はそう尋ねてみる。
「うんっ! 面白いお菓子の方が皆で食べる時楽しいもん!」
「例えばどんな?」
「えっとねー、おみくじがついてるのとかー、おまけでおもちゃがついてるのとかー、3つ入りで1つだけすっごい酸っぱいのとかー」
「あぁー……何か駄菓子でそういうのあったなぁ、懐かしい」
「そーゆーお菓子を持ち寄って交換したり分けっこしたりするんだよー」
「あぁ……そういうのって遠足の醍醐味だよなぁー……」
そう言いつつも修也の目は遠い。
(はっ!? これはまた修也さん、灰色エピソードを思い出してる!)
何度かこういう修也の目を見てきた蒼芽は危険を察知する。
恐らく修也は遠足に行っても由衣の言うような交流は全く無かったのだろう。
由衣に悪気は無いのは分かっているし自分も時々やらかしてしまうので由衣を責めることはできないが、この話の流れはマズい。
「そ、そうだ修也さん! 私たちもお菓子買いませんか!? そして由衣ちゃんと3人でシェアしましょうよ!」
なので蒼芽はその危険を回避するためにそんな提案を出した。
「えっ? 良いのおねーさん!?」
その提案を聞いて由衣が瞳を輝かせて蒼芽に聞き返す。
「うん。でも買いすぎには注意しようね?」
「うんっ!」
蒼芽の言葉に笑顔で頷く由衣。
「まぁそれは良いけど……いつやるんだ?」
「そうですね……この後帰ってからすぐでも良いですし、晩ご飯が終わった後でも良いと思いますよ」
「えへへー、楽しみだねおにーさん!」
「うん、まぁ……そうだな」
由衣の笑顔にあてられて修也の表情も緩む。
(ふぅ……何とかなったかな……?)
その修也の顔を見て蒼芽は胸を撫で下ろすのであった。
「ここがお菓子売り場だよおにーさん!」
地下1階に下りて由衣が先導する形で修也たちは売り場の一角までやってきた。
陳列棚には定番のスナック菓子や駄菓子のほかに、あまり見かけないパッケージのものや外国のお菓子と思われるものまで並んでいる。
「へぇー、色々あるんだなぁ。確かにこれはコンビニじゃなくてここに来たくなるのも分かる」
「でしょー?」
「私も時々買いに来ますけど、本当に種類が豊富ですよね」
「今日は何にしようかなー」
歌う様にそう言いながら軽い足取りで陳列されているお菓子を物色する由衣。
「あっ! これ新発売のお菓子だー!」
そう言って由衣はひとつのお菓子を手に取る。
「ほら見ておにーさん! 『めんたいこの港』だってー。きのこたけのこの新シリーズかなー?」
「ぶふーーーーーー!!?」
そして由衣が手に取って読み上げたお菓子の商品名を聞いた修也は盛大に吹き出した。
「わっ!? ど、どうしたんですか修也さん?」
修也のリアクションを見て驚いた蒼芽が尋ねてくる。
「いや、ちょ……え? な、何でこれが……?」
しかし今の修也に蒼芽の質問に答える余裕は無い。
何かの間違いかと思って見直してみるが、やはり由衣が持っているお菓子の名前は『めんたいこの港』だった。
(ひ、氷室の奴……本当にメーカーに問い合わせたのか!?)
にわかには信じがたいが、そうでなければこの商品名が世に出回っている訳が無い。
ふと陳列棚に目をやると、同じものがいくつも並んでいる。
しかも『今売れています!』というポップまで取り付けられていた。
(え、ええええぇぇぇぇ…………)
あまりにも想定外の事態に修也の思考はストップしてしまう。
「修也さん? この由衣ちゃんが持ってるお菓子がどうかしたんですか?」
返答が無い修也に対して、蒼芽が改めて尋ねてくる。
「え? あ、いや……うーん……何から説明したら良いのやら……」
こめかみ辺りを指でかきながら修也は悩む。
真面目に説明するのも非常に馬鹿馬鹿しいのだが、流石に何の説明も無しという訳にはいかないだろう。
あまり気乗りはしないが修也は事の次第を話し始める。
「えぇと……事の発端は先日のクラスメイトとの話だ。2人はきのこたけのこ論争って知ってるよな?」
「うんっ! 知ってるよー」
「はい、私も知ってます。どっちが人気があるのかって長年争ってますよね」
修也の問いかけに2人は頷く。
「うん、それでその論争に新たな風を呼び込みたいとか言い出した奴が俺のクラスにいるんだよ」
「えぇ……?」
修也の言葉に怪訝そうな表情をする蒼芽。
「そしてそのために第三勢力となり得るもののアイデアが欲しいと言われて……」
「もしかしてそこで出たのがこの『めんたいこの港』ってことですか?」
「そういうこと。めんどくさくてかなり適当に答えたのに何で商品化されてんだよ。しかも何か売れてるっぽいし……」
「あ、あはは……」
ため息交じりの修也の言葉に引きつった笑いを浮かべる蒼芽。
「えっとー、つまりこのお菓子の名前を考えたのはおにーさんってことー?」
修也の話を聞いた由衣が要約する。
「多分な。でなきゃこんな名前の物が世の中に出回っている訳が……」
「すごーい! おにーさん、そんなこともできるんだねー!」
修也の言葉を遮って由衣が瞳を輝かせて修也に詰め寄る。
「……え?」
「こーゆーお名前考えるのってすっごい難しいよねー。だからそれができる人って凄いと思うんだよー」
「まぁ確かに時々ネーミングセンスすげぇなこれって思う物はあるけど……」
「でしょー? だからおにーさんは凄いんだよー!」
屈託の無い笑顔でそう言う由衣。
そう言われるとなんだか本当にそうなんじゃないかと思えてくる。
「よーし、じゃあこれ買おーっと」
そう言って由衣はめんたいこの港を買い物かごに入れる。
「えっ? 買うのか!?」
「うんっ! おにーさんが名前を付けたものだし、それ無しでも普通においしそうだからー」
「……海を彷彿とさせるチョコ菓子がか……? チョコの甘さと潮の香りが混ざって変な感じがするけど……」
「あ、でも塩チョコってありますよ? だからそんなに変なものでもないかと」
「え? あ、そう言えばあるな塩チョコ」
他にも塩キャンディとか塩キャラメルとかが普通に出回っているので、自分が想像するほど変なものではないのかもしれないと修也は思い直す。
「由衣ちゃん、後で私にも1個頂戴ね」
「うんっ!」
蒼芽の言葉に由衣は笑顔で大きく頷くのであった。
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