「おはようございます修也さん」
「おはようございます紅音さん」
高校部活体験のあった日の週末、修也はいつも通りの時間に起きてリビングに下りてきた。
台所ではいつも通り紅音が朝食の支度をしている。
「修也さんの分の朝食はもうすぐできるので少しだけ待っていてくださいね」
「あ、はい。いつもありがとうございます」
そう言いながら食卓の席につく修也。
そこにほぼ間を置かずに紅音が修也の朝食を持ってきてくれた。
「……ホントにすぐでしたね」
「修也さんはいつも同じ時間に起きてくれるので準備がしやすいんですよ」
修也の言葉に対して紅音は微笑みながら答える。
生活リズムをしっかりと把握されるまでに舞原家の生活に馴染んだということなのだろうか。
目の前に並べられた朝食を見ながら修也はぼんやりとそんなことを考える。
「では、いただきます」
「はいどうぞ」
修也は手を合わせてからトーストを一口かじる。
それを飲み込んだ後、修也はおもむろに首と肩を大きく回した。
すると首と肩の両方からゴキリと大きな音が響いた。
「あら、お疲れですか? 修也さん」
その音を聞いた紅音が修也に尋ねてくる。
「えぇまぁ……ここ最近色んな事がありましたから……」
球技大会や部活体験など、体を使うイベントが最近は立て続けに起きている。
それに加えて修也は様々な変な事件にも巻き込まれているのだ。
心身ともに疲労が溜まってもおかしくない。
「まぁ今週末は特に何も予定は無いですし、たまにはのんびりと過ごしますよ」
「そうですね、そういう日があっても良いと思いますよ」
修也の言葉に柔らかく微笑む紅音。
「あ、だったら蒼芽にマッサージでもさせましょうか?」
「いやいくら何でもそれは……」
紅音の提案に修也は眉根を寄せる。
「あら蒼芽ではご不満ですか?」
「そういう訳じゃなくてですね、何か蒼芽ちゃんを顎で使ってるようで気が進まないんですよ」
ただでさえ修也は居候として舞原家に世話になっている立場だ。
その娘である蒼芽をこき使うような真似はしたくない。
「気にしなくても大丈夫ですよ? 蒼芽なら気にしないどころか何も言わなくても自分からやると言うと思いますよ」
「いやまさか……」
「だったら試してみますか? 蒼芽がリビングに来たら先程のようにさりげなく疲れているような仕草をしてみてください」
「はぁ……」
蒼芽を試すようで少し気が引けるが、どんな結果になろうとも誰かが損害を被るわけでもない。
なので修也は紅音の提案に乗ることにする。
「おはようございます修也さん、おはようお母さん」
「おはよう蒼芽ちゃん」
「おはよう蒼芽。今日は少し早いのね」
それからすぐ蒼芽が起きてリビングにやってきた。
「いつまでも修也さんにだらしない姿を見せる訳にもいかないからね」
「でも結局長年しみついた生活リズムを変えるのは簡単じゃないって話じゃなかったか」
「だからって努力を放棄する理由にはなりませんよ」
そう言って蒼芽は修也の隣の席に座る。
「うん、その心意気は立派なもんだ……と」
そう言いながら修也は体を大きく後ろに反らせて伸びをする。
「あ、修也さんお疲れですか? 無理ないですよ、最近は色々ありましたからね。そうだ、私マッサージしましょうか?」
「……蒼芽ちゃんも紅音さんもスゲェ……」
修也の何気ない動作1つで事情を察した蒼芽とそんな蒼芽の行動を見事言い当てた紅音に感心するしかない修也であった。
守護異能力者の日常新生活記
~第5章 第21話~
「いえそんな大したことじゃないですよ。普段から相手のことをよく見ていれば分かります」
そんな修也に対して蒼芽はまるで普通のことの様に言ってのける。
「いやそれが大したことなんだって」
「修也さんだってやってるじゃないですか」
「え? いつ?」
しれっと蒼芽にそんなことを言われるが、修也に心当たりは無い。
「相手のことをよく見て動きを先読みして最適解を導き出して迎撃してるじゃないですか」
「あぁ……そういうこと」
確かに修也は戦う時は相手をよく観察する。
そしてそこから動きを予測して立ち回る。
そういう意味では修也も同じようなことをやっていたのだ。
「でも気遣いという面ではダメダメだな。むしろ相手が嫌がりそうなことやってるわけで」
「まぁ……それは試合であり勝負ですから」
紅音が持ってきてくれたトーストにブルーベリージャムを塗りながらそう言う蒼芽。
「さて……じゃあごちそうさまでした、と」
蒼芽より先に食べ始めた修也は当然食べ終わるのも先になる。
修也は空になった食器を纏めて席を立ち、台所に運ぶ。
「あ、それ終わったらリビングで待っててくださいね。私が食べ終わったらマッサージしてあげますので」
「え、本当にやってくれるの?」
「もちろんです!」
そう言う蒼芽は気合十分だ。
「あら蒼芽、鼻息が荒いわよ? いくら合法的に修也さんの体を触れるからと言っても……」
「お母さん言い方! それだとなんだか私変態みたいじゃない!!」
「大丈夫よ蒼芽。人間誰しも何かしらで人には言えないそういう面があるものなんだから。修也さんなら受け入れてくれるわよ」
「だから言い方!!」
「蒼芽だって修也さんが超能力を持ってるって知っても受け入れたでしょう?」
「それとこれとは違う気がするんだけど……」
紅音の言い分にブツブツと不満そうに呟く蒼芽。
「いやでもそれはホントにありがたかった。今更だけどありがとな蒼芽ちゃん」
「あ……はいっ!」
でも修也の言葉にパッと明るい笑顔になるのであった。
「それでは修也さん、ここにうつ伏せになってください」
朝食が終わった後、そう言って蒼芽はどこからか持ってきたマットをリビングに敷く。
「おぉ……何か本格的。こんなものあったのか」
「私の部屋に置いてあるヨガマットです。寝る前に柔軟体操とかやる時に便利なんですよ」
「へぇー……そういや蒼芽ちゃんの部屋見たこと無いや」
蒼芽が修也の部屋にやってくることはあるがその逆は無い。
まぁ修也としても女の子の部屋に足を踏み入れるのは気が引けるので、それは別に全く構わないのではあるが。
「あら蒼芽、まだ修也さんを自分の部屋に連れ込んでないの? 確かに修也さんが来た初日にもうちょっと仲良くなってからとは言ったけど……」
「だから言い方ーーー!!」
修也の呟きを聞いた紅音が意外そうな顔をして蒼芽に尋ねる。
それをかき消すかのように叫ぶ蒼芽。
「まぁまぁ蒼芽ちゃん落ち着いて。紅音さんも人には踏み込まれたくない自分だけのパーソナルスペースっていうものがあるんですから」
「あ、いえその……修也さんが私の部屋に来ていただくのは全く問題無いんです。本当にお母さんの言い方の問題だけでして」
「あれ、そうなの?」
「むしろ私が修也さんの部屋にお邪魔するのが負担になってたりしてませんか? それこそ修也さんにだってパーソナルスペースはあるわけですし」
「いや居候の身でそんなもの求めるのは烏滸がましいだろ」
「いやいやそんな肩身狭くされたら逆に申し訳ないですよ!?」
「そうですよ修也さん。ここを自分の家のように思ってくれて良いんですよ?」
修也の言葉をそれぞれ否定してくる蒼芽と紅音。
「いやぁこういう線引きはしっかりしてないとどんどん依存していってしまいそうで」
「自分を律する姿勢は素晴らしいし否定する気はありませんけど、私的にはもう少し頼ってもらえた方が嬉しいんですけどね」
「それにそれは『依存』じゃなくて『信頼』だと私は思います」
「『信頼』かぁ……」
蒼芽の言葉を反芻して意味を考える修也。
確かにここに引っ越してきてそこそこの日数が経っている。
それなのに未だに『居候』として線引きをするのはむしろ蒼芽や紅音に失礼なのかもしれない。
「……分かりました。急には無理ですけどここを第二の自分の家と思えるように努力してみます」
「努力するものでもないと思いますが……私もお手伝いしますね。修也さんがここを第二の自分の家と思ってもらえるように」
修也の隣でそう言って微笑む蒼芽。
「良かったわね蒼芽。実質同棲宣言よ?」
「違うでしょ!? 何をどうしたらその結論に行きつくの!?」
にこやかにとんでもないことをぶっこんできた紅音に蒼芽は真っ赤になって突っ込む。
「ほら修也さんも遠慮せず突っ込んで良いんですよ? 普段藤寺先生にやってるみたいに!」
「いや流石にあそこまでは……」
陽菜には容赦なく全力でズバズバと突っ込める修也だが、紅音に対してあんな物言いをするのは気が引ける。
人にはそれぞれ気質というものがあるのだ。
「そんなんじゃダメですよ修也さん。ここを第二の家にするにはお母さんに遠慮なく突っ込めるようにならないと!」
「えぇ……いきなりハードル高くね?」
割と真面目なトーンで詰め寄る蒼芽にややげんなりとする修也。
ただ本気で嫌がっているわけではない。
これは時々蒼芽とやる軽口の叩き合いのようなものだ。
(ふふ……『そっち』は何の問題も無いみたいね)
そんな2人の仲の良さげなやり取りを見て紅音は静かに微笑むのであった。
「……何か物凄く脱線してしまいましたね。そろそろ始めましょうか」
「……そうだな。ここにうつ伏せで良いんだよな」
大分横道に逸れてしまったことに気付いた蒼芽と修也は本来の方向に軌道修正する。
「あらかじめ言っておきますけど、私ド素人ですからね? マッサージなんてテレビとかで見たものの見様見真似ですから」
「大丈夫大丈夫! 俺の護身術だってテレビで見たものの見様見真似だから」
「それ全然大丈夫じゃないですよ!? 何の気休めにもなってません!」
軽く言ってのける修也に反論する蒼芽。
修也の護身術はとても『ちょっとテレビで見たものを真似てみました』程度で済ませられるものではない。
それは今まで修也のそばで見てきた蒼芽が一番分かっている。
「それにさ、こういうのは上手い下手じゃなくて気遣いや思いやりが大事なんじゃないかな。俺の勝手な考えだけど」
「あ、そういうことならお任せください!」
修也の次の言葉には蒼芽は自信満々で胸を叩く。
(……だろうな。コミュ力の塊の蒼芽ちゃんならそういうの得意だろうし)
その様子を見て修也は心の中で頷く。
ただ修也の考えも間違いではないのだが、『修也に対して』というのが更なる補正を加えているというのが実のところだということに修也は気づいていない。
「それでは失礼しますねー」
そう言って蒼芽はうつ伏せになった修也に跨り、まずは肩回りの筋肉をほぐす。
その指の力は強すぎず弱すぎず程よい揉み心地だ。
「お客さん凝ってますねー……なーんてこういう場面ではよく聞くセリフですよね」
「ははは、確かに。てか凝ってなきゃそもそもそういう店には行かないだろ」
「あはは、言われてみれば確かにそうですよね」
そんな談笑をしながらも蒼芽の手は止まらない。
「修也さん、痛かったりはしませんか? 力加減が分からなくて……」
「いや大丈夫。ちょうどいい感じだ」
「なら良かったです。それにしてもこうしてみると男の人って凄いですね。こんなに筋肉あるんだ……」
「そうかな? 自分じゃよく分かんないや。それに霧生見てると俺なんてまだまだ」
「霧生さんは別格でしょ。服の上からでも分かるじゃないですか」
戒はアホみたいに鍛えてるだけあって筋肉量もハンパじゃない。
そんな戒と比べたらほとんどの人が細身になる。
「…………はいっ! こんなものでどうでしょうか?」
「……うん、楽になった気がする。ありがとな蒼芽ちゃん」
ひと通りほぐし終えた蒼芽が修也の背中から降りる。
修也は起き上がり肩を回してみる。
劇的な変化は無いが、先程自分で言った通りこういうのは気遣いや思いやりが大事だ。
それは十二分に伝わった。
「よし、じゃあ交代な」
「あ、はい…………え?」
さらっとそんなことを言い出した修也に普通に頷いた蒼芽だが、数秒間をおいて首を傾げて聞き返してきた。
「うん、だから交代。今度は俺が蒼芽ちゃんをマッサージする」
「えっ…………えっ?」
「あ、でもこういうのってセクハラ問題とかに発展したりするのか。肩叩いただけでセクハラとか騒がれるらしいし。難しい世の中だなぁ」
「いえいえいえいえそういう訳ではありません! 修也さんからならセクハラになんてなりえません!! ただ、修也さんを顎で使うような気がして恐れ多いと言いますか……」
考え込みだした修也に向かって両手と首を全力で横に振る蒼芽。
「いやいや気にしなくても良いって」
「そうよ蒼芽。修也さんもこう言ってくれてるしやってもらったら?」
「で、でも……」
「修也さんも蒼芽がこう言ってることですしどさくさに紛れて普段触れないような所を触っても」
「しませんよそんなこと!?」
しれっととんでもないことを言い出した紅音に修也は突っ込む。
「あ、そうそうそんな感じで遠慮なく突っ込んでいって良いんですからね?」
「うふふ……ゾルディアス流ツッコミ術の神髄、見せてもらいましょうか」
「もう何でもアリじゃないですかそれ」
穏やかな笑顔でそんなことを言い出す紅音に修也は半眼で言い返す。
「……とりあえずそれは置いとこう。はい蒼芽ちゃん背中向けてー」
「あ、はい」
修也の言葉に素直に従い背中を向ける蒼芽。
蒼芽の肩に手を置いた修也は、そのまま親指に力を入れる。
「はぅあぁっ!!?」
それと同時に蒼芽はらしくない大声を上げた。
「あらどうしたの蒼芽?」
「えっ、修也さっ、指っ、固っ!?」
よほど驚いたのか、片言になる蒼芽。
「あっ!? もしかして『力』使ってますか!?」
「うん正解。指先だけ固めてみた」
蒼芽の問いに修也は頷く。
「なるほど……指圧棒の要領ですか」
「えぇ。蒼芽ちゃんと紅音さんは『力』のこと知ってますし、せっかくだから何か有効活用できないかと思いまして。どうだ蒼芽ちゃん、痛かったりしないか?」
「は、はいぃ……むしろ気持ち良すぎて色々とヤバいですぅ……」
修也の問いかけに上ずった声で答える蒼芽。
「そ、そんなにか……思い付きで試してみたけど予想以上の効果だ……」
まさかここまでなるとは思っていなかった修也は少し狼狽する。
「まさか修也さんがゾルディアス流整体術にも通じてるとは……」
「もう何でも良いです」
感心したかのように呟く紅音に修也は投げやり気味に答えるのであった。
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