「……そう言えば私、土神先輩が戦ってるところをちゃんと見るの……はじめて、かも……」
瑞音との手合わせの為に格技室の中央で軽く体を慣らしている修也を見ながら詩歌がぽつりと呟く。
「あれ、そうだっけ?」
修也と瑞音の邪魔にならないように格技室の端へ一緒に移動した蒼芽がそう尋ねる。
「うん……モールで助けてもらった時も、学校に拳銃を持った人が入ってきた時も……」
気弱な詩歌としてはそんな時に落ち着いてゆっくり見ていることなんてできない。
当然アミューズメントパークでのハンマー男の時も気が気ではなかったのだ。
「あぁ……まぁそうだね。ハラハラしてそれどころじゃないよね」
「舞原さんは……見たことあるの?」
「うん、この前霧生さんと公園で軽く試合してるのは見たよ」
他にも猪瀬の元部下たちに襲われかけた時や先日の由衣の誘拐騒動の時も、実は蒼芽はそこまで不安ではなかった。
修也ならまず大丈夫だろうという安心感と信頼が蒼芽の中にはあったのだ。
ただ、分かっていても刺されたように見えた時の光景は心臓に悪かったのではあるが。
「そ、その時は……どうだったの?」
「修也さんが勝ったよ。でもまぁあまり勝ち負けにはこだわらないって感じの試合だったんだよね。ホントに手合わせって感じ」
「あ……そうなんだ……」
蒼芽の言葉を聞いてどこか安心したように呟く詩歌。
やはり詩歌としても多少なりとも親しい方の修也が勝つ方が嬉しいのだろう。
蒼芽はそう推測する。
「あぁ、ホント土神は強かったなぁ。でも次は負けないぞ! その為に鍛えてるしな!」
そこに戒がやってきて会話に混ざる。
「ひっ!?」
そんな戒の声に驚いた詩歌が短く悲鳴をあげて蒼芽の影に隠れる。
「えっ? あれ……? お、俺何かマズいことしちゃった……?」
驚いた詩歌を見て狼狽気味に蒼芽に尋ねる戒。
「あぁ……すみません、詩歌は男の人がちょっと苦手で……それに霧生さんは体も声も大きい方なので……」
「あ……わ、悪い。そんな驚かせるつもりは……」
蒼芽の説明を受けて、戒は小さく縮こまりながら詩歌に謝る。
「い……いえ、その……き、霧生先輩は……何も、悪くない……ですから……」
そう言いながらも蒼芽の影から隠れて出てこない詩歌。
まだまだ男が怖いというのは抜けきっていないようだ。
それでも修也なら怖がらなくなったのは大きな進歩である。
「おーい霧生ー、女の子怖がらせてんじゃねぇよ」
「違わい! 怖がらせるつもりなんて微塵も無かったわ!!」
その様子を見ていた瑞音からの野次に応酬する戒。
「ひぅっ!?」
その大声にまた詩歌は驚いてしまう。
「あ、あああぁぁぁ……」
そんな詩歌を見て戒は再び小さく縮こまってしまう。
「……ここまで来ると逆に修也さんが凄いなぁ……」
修也も戒程ではないが背は高い。
それなのに詩歌は怖がらず、時々言葉は詰まるものの普通に会話が成立するようになった。
「……やっぱり修也さんは癒し系なんだね」
「……どうあっても俺をそっち方向にもっていくつもりか蒼芽ちゃん……」
蒼芽の呟きに修也はげんなりとするのであった。
守護異能力者の日常新生活記
~第5章 第2話~
「……ところで土神、服装はそれで良いのか?」
修也同様軽く準備運動をしながら瑞音が聞いてくる。
瑞音はTシャツにハーフパンツと動きやすい恰好なのに対して、修也は制服のままなのである。
夏服とはいえ、とてもじゃないが動きやすいとは言えない。
「そうは言ったって、別に俺部活に所属しているわけでもなければ今日は体育も無かったしな……」
普通は運動部に所属していたり体育の授業があったりしない限りは運動できる服なんて持ち歩かない。
「それに着てる服が都合悪いから……なんてのは言い訳にならない」
修也がベースとしているのは護身術だ。
当然それは自分の身を守る為の物であり、その必要が出てきた時に必ずしも動きやすい服を着ているとは限らない。
まさか暴漢に襲われた時に『あ、動きやすい服に着替えるので待ってください』と言う訳にもいかないだろう。
実際今までの事件を修也は全て普段着もしくは制服で片付けている。
「まぁ土神がそう言うなら……じゃあそろそろ始めるか?」
準備運動を終えた瑞音が修也と2メートル程の距離を開けて立つ。
「そうだな。事前に確認しておくが、ルールは?」
「勝ち負けは決めるつもりは無いが……有効な攻撃が入ればそれまでってことで。あと、意図的に危険な攻撃をするのは無しだ。そして万が一不可抗力で怪我しても責任は問わない」
「……まぁそんなものか」
これは手合わせとは言え格闘の試合だ。
怪我をする可能性はゼロではない。
事前の認識合わせは大事だ。
「じゃあ試合開始の合図は……霧生、頼む」
「あぁ、じゃあ……始めっ!」
「っ!」
戒の試合開始の合図と共に一気に瑞音が距離を詰めてきた。
そしてまずは牽制と言わんばかりに軽いパンチを半身で撃ってくる。
(まずは様子見ってとこか……?)
踏み込みの無い軽いパンチなので出がかりは速いが捌きやすい。
だがそれと同時に隙もできにくい。
修也は次々と撃ち出される瑞音のパンチをひとつひとつ捌きながら様子を伺う。
「…………! ふっ!」
タイミングを見計らっていたのか、少し踏み込んで瑞音が当身を仕掛けてくる。
(これを受け流してできた隙を狙って…………いや、違う!!)
当身の隙を狙ってカウンターを放とうとした修也だが、直感的にそれは違うと感じて受け流すだけに留まる。
「……あれ? どうして修也さん、今の当身の隙にカウンターを返しに行かなかったんだろ?」
修也の行動を不思議に感じた蒼芽が呟く。
「え……舞原さん、よく分かるね……? 私、何が何だかサッパリだよ……」
蒼芽の呟きを聞いた詩歌が感心しながら尋ねる。
「まぁ私も何度か修也さんの立ち合いを見てるからね。それでも今みたいに分からないことも多いけど」
「……今の相川のあの当身は誘いなんだよ」
疑問に思う蒼芽に戒が答えた。
「えっ……誘い……ですか?」
「あぁ、ああやって相手の攻撃を誘って隙を作る。守りの固い相手によく使う戦法だな。攻撃の瞬間はどうしても守りが手薄になるから」
「なるほど……修也さんの守りはメチャクチャ固いですからねぇ」
「確かに。あの誘いにも乗らなかったしなぁ。相川の狙いが土神には分かってたんだろう」
「……ところで霧生さん、どうしてそんな小声なんですか?」
さっきから戒はまるで囁くかのような小声しか出していない。
注意しないと聞きそびれかねないくらいの大きさだ。
「あ、いや……さっきから驚かせてばっかりだから……」
詩歌を見ながら申し訳なさそうな顔でそう言う戒。
「普通に話すくらいなら大丈夫だと思いますよ? ね、詩歌」
「う、うん……今の舞原さんの声くらいなら……」
蒼芽の言葉に僅かに頷く詩歌。
そんなやり取りが行われている間も修也と瑞音の攻防は続いている。
「はっ!」
瑞音が再び当身を仕掛ける。
今度は先程よりも重さのあるものだ。
それを修也は受け流し、今度こそ反撃に出ようとする。
「!」
……が、不意にその動きを止めた。
実は瑞音の攻撃はまだ終わっていなかった。
流れるような動きで連撃を修也に仕掛ける。
踏み込んだ足を軸にして回転しながらの肘撃ちだ。
……だが修也はその連撃も読んでいた。
と言うよりは、そんなあからさまな隙を瑞音が作るとはとても思えず警戒していたのだ。
そしたら案の定……という訳だ。
(今の動きにもついてくる…………これは、やべぇな…………)
これまで全く修也の守りを崩せていない瑞音は内心そう呟く。
大抵の人はここまで自分の攻撃をかわして受けて流されると焦りが出始める。
自分の攻撃が全く届かないことにもどかしさを感じ、不安・焦燥・苛立ちで動きに粗が出てくるものだ。
(………………やべぇ……面白すぎる!!)
しかし瑞音の心に現れだしたのは正反対の感情だった。
今の瑞音の心は期待・歓喜・興奮に満ち溢れていた。
最初は軽い肩慣らし程度の感覚で修也の力量を計るつもりで仕掛けた。
英雄としてもてはやされるのであればこの程度楽に対応できて貰わないと困る、という期待にも近い思惑があったのだ。
しかしその期待は裏切られた。
もっともそれは瑞音の想像を遥かに上を行くという意味でだが。
最初の軽いジャブは当然のこと、途中からの当身も連撃も修也は普通に対応してきたのだ。
瑞音も途中から段々遠慮が無くなっていったのだが、それでも修也の防御は揺らがない。
そのことに瑞音の心は沸き立っていく。
どうやれば修也の鉄壁にも近い守りを崩せるか?
自分からのアクションに修也はどういう対応を見せるのか?
瑞音はそれを考えるのが楽しくて堪らない。
「……やるじゃねぇか土神、私の期待以上だ!」
一旦距離を置き、瑞音は笑いながらそう言う。
「……メッチャ良い顔してんなぁ……」
一方の修也はやや呆れ気味だ。
「当たり前だろ、これだけ仕掛けても難なく対応してくるとか面白すぎる! ヒデェぜ霧生、こんな逸材がいるのを黙ってたなんて」
「えっ……俺ぇ!!?」
「ひぅっ!?」
「ああぁぁ、ゴメン……」
急に話を振られた戒が驚きの声をあげる。
そしてそれに驚いた詩歌がすくみあがる。
それを見た戒が再び詩歌に謝る。
「これならどれだけやっても怪我させる心配はねぇな!」
「いや当たり所が悪かったら普通に怪我するからな?」
そんな外野をよそに瞳を輝かせる瑞音を修也は宥めようとするがあまり効果はないようだ。
「それじゃあそろそろ本気でいくぜ!」
「えっ、今まで本気じゃなかったのか?」
あれだけの動きを見せていたのにまだ本気ではなかったらしい。
瑞音の言葉に驚く修也。
そんな修也にお構いなしに瑞音は再び攻撃を仕掛ける。
(むぅ……隙らしい隙がほとんど無い……こりゃ霧生以上に厄介な相手だ)
瑞音の猛攻を捌きながら修也は考える。
瑞音の動きは緩急差が大きい。
速い時もあればあえて遅く動く時もあるのだ。
そのせいでリズムが掴みにくい。
さらに攻撃の隙を違う攻撃で消している。
そしてその攻撃で距離を取るので実質攻撃後の隙がほぼ無い。
なかなか良く考えられている立ち回りだ。
戒との試合の時も感じたが、武器を持った素人よりも武道の心得を持った者の素手の方が何倍も厄介なのである。
しかも瑞音は戒とは違い、きちんと考えた立ち回りをしている。
戒と同じ戦法は使えないだろう。
「……っせい!!」
「くっ……!」
何度目になるか分からない瑞音の踏み込んだ攻撃が修也に襲い掛かる。
これも修也は受け流すが、勢いがあったからか少し後ろに押される。
「! もらっ……」
これを好機と見た瑞音が追撃に入る。
「……うっ!?」
しかしまさに攻撃に入ろうとした瞬間逆に距離を詰められ、修也の肘が瑞音の脇腹に……
……刺さる前に止められた。
「す、寸止め……ですよね? 当たってませんよね?」
角度的に見えなかったのか、蒼芽が確認してくる。
「ああ、当ててない。流石にこれ当てたら怪我するだろ」
そう言って修也は構えを解除する。
「でもこれは有効打としても良いだろ。止めなきゃ確実に決まってたわけだし」
「……あぁそうだな。今回は土神、お前の勝ちだ」
大きく息を吐いて瑞音がそう言うと同時に格技室内に歓声が響き渡った。
「すげぇーっ! 土神先輩、あの相川先輩に勝ったぞ!」
「ってか相川さんも凄い! あんな動き見たこと無い!! 部活中は本気じゃなかったってことなのかな?」
方々からそんな声が聞こえてくる。
「しっかしまぁ、最後は見事にしてやられたなぁ。少し後ろに下がったの、あれワザとだろ」
「あぁ、気付いてたか。いや良く考えた立ち回りだよ。攻撃後の隙がほとんど無いから反撃の機会がなかなか掴めなかった」
「大技の後はどうしても隙ができるからな。その辺は私も色々研究してんだ」
「なるほどなー、霧生とは大違いだ」
「当然だ。私をあの脳筋と一緒にするな」
「おい、聞こえてんぞ」
詩歌に配慮して戒は普通の大きさの声でツッコミに入る。
「で、だ。攻撃後に隙が見つからないなら攻撃前を叩けば良い。だから攻撃前の時間を作るために衝撃を受けて下がった風に見せかけたわけだ」
「はぁー、なるほどなぁー……」
修也の説明にしきりに頷く瑞音。
「…………うん、やっぱり間違いねぇ」
そしてニヤリと笑いながら修也を見据える。
「え……何が?」
「土神……今日からお前は私のライバルだ!!」
ビシッと修也に向けて指さしてそう宣言する瑞音。
「は、はいぃ!?」
突然の瑞音の宣言に修也は素っ頓狂な声をあげる。
「いや、急に何よ?」
「やっぱ更なるレベルアップにはそういう存在が必要だよな! お前ならその役にうってつけだ!」
「霧生は?」
「こういうのは自分より強くねぇと意味無いだろ」
「え、それって……」
「あー……相川は俺よりも強いぞ」
修也が気になったけど言いにくいことを戒が自分で言う。
「そりゃ単純な身体能力だったら俺の方が上だぞ? でもそれだけで勝ち続けられるほど格闘技って甘くないからなぁ」
「で、お前はそんな私に勝った。つまりお前は私よりも強いってこったろ」
「えぇー……」
瑞音も戒程ではないがかなりの体育会系思考をしている。
そのことに修也はげんなりとしてため息を吐く。
「まぁこの部活に入れとは言わねぇよ。でも気が向いたらでも良いから来て私の相手してくれよ、な!」
やたら清々しいサッパリした顔でそう言う瑞音。
『力』のことがあるのであまり気乗りはしない修也ではあるが、そういう言い方をされると無下に断るのも気が引ける。
「……あーうん、まぁ……気が向いたらな……」
結局そんな曖昧な言葉でやり過ごすことにした修也であった。
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